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2005年09月20日

icon厚顔野郎


 自分で自分のことを、無駄だ、無駄だ、無駄、無駄、無駄だよ、なんぞと言いながらも、猶もこうして、この、電気消費日記を書いている老耄を、厚顔野郎と呼ばずして何と呼ぶ。何というのか、狡いことを思いつくもので、人間というのは、斯様に矛盾を抱いたまま生きる存在なのである、などという、利いた風な言い訳を申し立てる。いけずうずうしい老い耄れだ。しかしながら、こんなことを書きながらも、段々と鬱々として参りますな。人の生命とは何なのか、人の価値とは何なのか、などなどと、ぼんやりと思いを巡らす。けれども、ちゃんとした結論にはちっとも辿り着けないのである。考えてみれば、有名な哲学者なんぞが、二千数百年も前からあれこれ案じてきたのに、未だに確固たる答えが出ていないような問いなのであるからして、私のように、漠然と齢を重ねてきただけのとんちんかんには、何も判る筈などないのである。こんなときに、信仰の厚い人であれば、神や仏にお縋りし、助けてもらえるのだろうけれど、生憎、私は無宗教者ですからね。縋り付くべき相手がいない。マリが側にいてくれれば、こんな気分も和らいだ筈だけれど、と思うけれど、それは無い物強請りですからね。栓無きこと。いっそ、厚顔野郎として、他人様に嫌われるほどの厚顔野郎として、図々しく生きてやるわい、となれば、それはそれで味だろうけれど、何を隠そう、私、小心者であるからして、こんなところでは、あれこれ述べ立てることは出来ても、日々の生活の中では何も出来ず、何も言えず、ああ、うじうじいじいじしているのであります。

 灯籠の窓から光り覗き見て

 現在の心境というのは、こんなところであります。世間の光が随分と遠く感じられます。

投稿者 nasuhiko : 2005年09月20日 18:49

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