« 颱風一過 | ホーム | 影と日向 »

2005年08月27日

icon付ける薬のある筈もなし


 天気が良い。散歩に出る。使い古したぽんこつ足も、本日は少しは軽い。それにしても、晴れていても朝のうちは気温が上がりませんな。夏も間もなく終わるのでありましょう。
 散歩しているとよく判るますな、雑草の生長が恐ろしく早い時期なのだなあ、と。背高泡立草というのでしたかね、あの、外来ののっぽの草がありますな。あれなんざ、私よりも背が高いのが幾らでもある。しかしですよ、先日の颱風でばったり折れてしまったものも少なくない。ううむ。それが自然の掟なのだろうけれど、照りつける陽光の下、何本も並んで倒れているのを目にすると、少々切ない気がしなくもない。
 考えてみれば、セニョール・ハバネロだって、同じ運命を辿るところだったのである。ところが、添え竹が支えてくれて、難を逃れたのであります。ありがたい。そういう心で見回してみると、ほほう、確かに、竹というものは丈夫ですな。しっかりものである。狂風に煽られ続けた所為で、傾いでしまっているものもあるけれど、倒れてしまっているというものはないようである。
 そうであった。昨年は、雑草の中の雑草、とでもいうように、笹や竹を目の敵にして、小庭から排除しようと躍起になっていたのであった。彼奴らの根をずっと掘って掘って、隣との境まで掘り捲って、ああ、それでも全部を退治することはできないのだなあ、などと、そんな風なことを思っていたものであります。ところがですよ、この度は、その竹にセニョ殿を救っていただいたような訳であり、竹というものは、あれですな、すうーっと真っ直ぐに伸びるだけあって、正々堂々とした侠気があると申しますか、私に、言わば昨年までの敵に、塩を送ってくれた、ということになりましょうか。
 では、私も、その竹の塩に報いるために、今後は、笹や竹を刈るのを止めようかしら、と思わなくもない。一度はそう思ってみたけれど、あれですな、それでは、却って、竹の顔に泥を塗るとういようなことになるかもしれない。敵に塩を送るという立派な行為だけれども、私がこれを機に竹派に寝返ってしまったら、竹氏の折角の行為は、敵に塩ではなく、敵を懐柔する作戦だったということになってしまう。竹てえやつは何だい、気持ちの良い男だなあ、と思っていたけれど、結局は、ああやって、敵を取り込もうというような嫌らしい作戦だったのだねえ、と、そんな噂が立ってしまうかもしれない。いけない、いけない。そうなのだ、やはり、私は今後も竹や笹をこの荒屋の小庭の世界では雑草と認定し、戦い続けねばならない。そうであってこそ、初めて、竹氏の敵に塩が輝くのであります。
 嗚呼、呑み過ぎてどんどん訳が判らなくなってきた。兎にも角にも、竹氏よ、ありがとう。そして、また正々堂々と戦おう、と、こういうことだろうか。下手の考え休むに似たり。いやいや、酔漢の考えなんざ、休むに似たりどころか、全くの空回り。先程から、からからからから、如何にも空疎な音がする、と思ったら、それは私の脳味噌の音なのでありましょう。老い耄れの酔っ払い、付ける薬のある筈もなし。莫迦である。

投稿者 nasuhiko : 2005年08月27日 19:20

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://bokenasu.net/mt/mt-tb.cgi/285

コメント

コメントしてください




保存しますか?