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2005年08月21日
ハバネロ32
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セニョール・ハバネロは、その後も、順調に成長している。実もたくさん生っている。十個以上はあるように思う。数え始めるのだけれど、くらくらして、結局訳が判らなくなる。いや、私が、十まで数えられないような愡け茄子だという訳ではありませんぞ。ハバネロの実を数えるのが存外難しいのである。これはやってみなければ判らんかもしれないけれど、奥の方や、やたらと低い、地面すれすれのところに生っていたりして、しかも、緑の中の緑であるからして、みつけにくいこと甚だしい。腰は痛くなるし、あれ、この実は数えただろうか、未だかな、などと、やっているうちに訳が判らなくなるのである。けれども、ざっと、十はあるでしょうな。未だ花も咲いているから、最終的にはどういうことになるのか。大豊作である。ふふ。
腰を屈めて、下の方を覗き込んで、懲りずに実を数えていたら、不思議なことを発見した。大本の茎が曲がっているのである。地面から斜めに出ている。実が地面すれすれになっている、と先に書いたけれど、それは、木自体が斜めになっていることから生じている現象のようである。今のところ、問題は発生していないけれど、もう少し木が生長し、実も生長したら、重さに耐えかねて、倒れてしまうのではないか、という心配がもくもくと胸の中で膨らむ。何か添え木のようなもので支えて、横ではなく、上に延びるような方向づけをすべきなのか、ど思ってみたり。しかし、今まで、あるがままに自由に育ってきたのに、ここに来て、添え木に縛りつけられたりしたら、どんな気がするだろうか、とも思う。何しろ、相手は南米人ですからね。勝手気侭に、気の向く侭に生きるのを善しとしているのではないか、と。尤も、これは私の想像に過ぎません。何しろ、南米の人に知り合いというものがいませんからね。本当の南米の人というのは、どういうものなのか、とんと判らない。判らないけれども、長年の読書や映画鑑賞やの影響で、南米人というのは自由闊達な気風の持ち主なのではないか、なんて思い込みがある。アミーゴというのは、友だちという意味でしたか。ちょいとしたことが切っ掛けで、すぐ仲間になって、そらそら、まあ、一杯ってんで、テキーラをくくぅっと呑み干し、今日から俺たちはアミーゴよ、てやんでえ、ってなもんでね。はは、何だか、これじゃ寅さんみたような風ですか。
嗚呼、妄想激しく、話がどんどん逸れてしまったけれど、さてさて、セニョちゃんに添え木はするべきや否や。ううむ。どうしたものだろう。
投稿者 nasuhiko : 2005年08月21日 18:12
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