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2005年08月16日

iconくらくらのふらふら


 大きな地震であった。畳の上でごろりと転た寝をしていたもので、一瞬、何が何だか判らなかった。何とはなしに頭がくらくらするような、つまり、眩暈がするような感じがして、目が覚めた訳だけれど、何分、寝惚けているもので、はっきりしない。棚がぎしぎしと悲鳴を上げて、部屋のあちこちで置き物がかたかた音を立てているのに気づくに及び、漸く、これは地震か、と気づいた私である。で、慌てて、表に駈け出して、安全な場所に避難する……というようなことは、できないものである。
 普段は世のあれこれにうじうじし、くさくさと気を滅入らせるような性格でありながら、何故か地震に関してびっくりはするけれども、あまり動ずることのない私である。ははあ、地震だね、などというように。まあ、これは一種の諦観から来るものなのか。孰れにしてもですよ、大きな地震が来たら、人間てえものは無力なものでしょうな。歩くどころか立つことも侭ならず、揺れが治まってくるのを待つしかないのではないか。お若い人で、身体能力が常軌を逸して優れた人なら、多少は事情は違うかもしれないけれど、たいていの人は、無力なものではないだろうかね。少なくとも、私はそうである。全くの無力である。普段から走ることなどできたものではないし、日によっては膝が痛かったり、腰が痛かったりして、すいすいと歩くことさら能わない訳である。そんなぽんこつに、地面がぐらんぐらんと揺れている際、一体、何が出来ようか。何も出来る筈などない。尤も、身体的に無力でも、頭や心で頑張ることはできる筈だ。本日も、地震だと理解してからは、火は使っていないな、とか、逃げるときには玄関よりは庭が良かろう、とか、財布はあそこ、懐中電灯はあそこ、などと、思い浮かべたりすることはできた。まあ、そう思うことが出来ても、揺れが治まる前に、この荒屋のことだから、ばたんきゅうと潰れてしまわないとも限らないけれどね。そうなってしまったら、考えなんぞ、何の役にも立ちませんな。諦めるしかない。こんな、ある意味でのんびりした気持ちでいるのも、私が十分に齢を重ねているからでしょう。地震にやられなくとも、私の余命など高が知れている。しかも、世の多くの人々の命に比ぶれば、我が命の価値なぞ、相当に軽いものである。これは卑下したり、いじけたりして申している訳ではありません。本当のことです。

 他の人たちはどうか知らんけれども、死に対する恐怖とか不安というものは、私には今はござんせん。この先、どうなろうとも、来るものは拒まず、死ぬるときは、それ、天寿を全うする日と思えますな。こんな風に思うようになったのは、やはり、家内を失ってからであります。自らをどうかしてしまおうなどということは微塵も思ったことはないけれど、未練はない、というか。変な物謂いになってしまいますな。いやいや、私は、これでも非常に日々前向きに生きているのであるけれどね。何だか、地面が揺れて、頭が揺れて、心も揺れているのか、普段から訳の判らない私の文章が、ますます縺れてこんぐらかって、ふらりふらふら、何処へ行く。辿り着くべきところが見当たらぬ有り様。ううむ。

投稿者 nasuhiko : 2005年08月16日 21:03

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