« ハバネロ24 | ホーム | 自然の回帰 »

2005年07月13日

icon家守の死


 庭の片隅で家守がひっくり返って死んでいた。どういう経緯でこういう状態になったのだろうか、と考えるに、喉元に小さな穴が開いているので、恐らく、宇宙人面したちび猫くんがやっつけたのかもしれない。もし、仮に、ちび公くんの為せる業だったとすると、本能の為さしむるものであり、自然界においては仕方がないことなのだろうけれど、それでも、何というのか、家守公の物言わぬ姿は痛々しく、私の胸に波風がゆらゆらと揺らめくのである。私は菜食主義者なんぞではないし、格別の宗教的自制心を持ち合わせている訳ではなく、例えば、ガンジーさんの無抵抗主義のような、美しい志からは限りなく遠いところにある、単なるぽんこつじじである。だから、家守くんの遺体を前にして胸が痛いなんぞと言うのは片腹痛い話なのであるけれど、本当のことだから、仕方がない。
 庭の何処かに穴を掘って丁寧に埋葬しようかとも思ったけれど、それよりも、自然に土に帰るのを待つのが森羅万象の摂理に適っておるかもしれない、と、思いを改め、庭の片隅に引っ繰り返った姿の侭、其の侭にして部屋に戻った老い耄れである。

 仮に、私が道端で倒れて死んでいたとしたら、通り縋った人は、警察なり何なりの役所に届けねばならないのだろう。其の侭放っておいて自然に帰るのを待とう、などということをしたら、何らかの犯罪に問われてしまうのかもしれませんな。この世界の中に生を受け、一つの生き物として生きているくせに、人間というものは、手前勝手な理屈をあれこれと拵えて、そのおかげでどんどん不自由で不可思議な存在になっているのではないだろうか。そうは思うけれど、その一方で、葬儀とかお墓とかいうもののがあるおかげで、心に区切りを付けられる、という有り難みもある訳であります。そういう何というのか、目に見える区切りがないと、どうしても、人というのは、ぐずぐずずるずるずぶずぶの、泥沼のような心境で堂々巡りを繰り返してしまったりし兼ねませんからね。死を前にして、中々平常心でいられるものではありません。嗚呼、家守くんの死から、何だってこんな話になってしまったのか。今晩は、家守君の為に、『フォーレのレクイエム』を聴くことにしますよ。

投稿者 nasuhiko : 2005年07月13日 17:57

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://bokenasu.net/mt/mt-tb.cgi/241

コメント

コメントしてください




保存しますか?