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2005年07月05日

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 我が小庭には、植えたもの、植えないのに勝手に生えたもの、大師匠からの預かり物、と、あれこれの草花がある。御存知のように、私は、マリの遺したものを何とか育てよう、というような気持ちから庭弄りを始めたのであって、元々花や草木に格別な関心を寄せていた訳ではない。しかしながら、家内の思いが籠っているであろう草や土と接しているうちに、何とはなしにそれなりの愛着や拘りが湧いてくるから不思議である。近頃では、雨の日でも傘を差して一渡り眺め回したりして、一端の園芸家気取りである。いや、まあ、気取っている訳ではないのだけれど、結果的に、そんな風なことになる。そうやって愛でていると、ああ、今日はこの草の緑が濃いな、とか、漸く、花が咲きましたか、などなどと、それぞれの移り変わりを目や指や鼻で感じる訳である。そういう色々な感興を得られるというのは実に有り難いことであり、この自然の恵みや驚異に感謝したい気持ちになったり。そして、当然、日記に書きたくなる訳である。そこで、はたと困じ果てる。名前が判らないのである。判らないから日記に書きようがないのである。人間てえものは愚かなものである。手前で考え出した言葉というものに囚われて、名前が判らないから日記に書けない、と泣き言を言ったりしている。莫迦である。情けない。仕方がないので、庭の右奥の草に薄桃色の見たことがない花が咲いた、などと、書いてみたけれど、どうにも落ち着かない。言葉というものに毒されているのか。毒されているのでしょうな。

 一体、名前に何の意味があるのというのだろうか。こんなことでむず痒い心持ちになるなんて、なんて愚かなじじいだろう。

 万緑や 存じませぬぞ 名前なぞ

投稿者 nasuhiko : 2005年07月05日 17:44

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