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2005年06月16日

iconのこるものは


 貴ノ花があのような若さで亡くなって、大きにびっくりしていたのであるけれど、その後の、あの息子たちに代表される揉め事のあれこれにはつくづく驚かされますな。一体何をやっておるのだろう。

 人が亡くなったあとに何が残るのか。運が悪くなければ、お骨が残る。そして、主義、宗派などによりけりで、お墓や位牌などが残りましょう。そういう物質的なものだけではない。忘れていけないのは思い出であります。良いことも悪いこともあろうけれども、どちらかと言えば、良い思い出が多く残るもの。というより、悪い思い出は、その死と供に、もうどうでもいい過去となってしまうので、思い出すことがなくなるのではないかしら。世間一般に於てそうだとは言えないのかもしれないけれど、私に関して言うならば、そういう気がする。良い思い出は繰り返し繰り返し思い出して、ますます良い思い出として心に深く刻み付けられ、その度に新鮮なものとなる。けれど、その所為で、思い出す度にその人を失った悲しみが胸に沁み、結果的には涙することになったりして、莫迦みたいだけれど、それでも思い返さずにはいられない。思い出の良いところは、誰かの所有物たる必要がない、というところですな。例えば、私がマリの思い出を大事に胸の奥にしまっていても、他の人々だって、マリの思い出をそれぞれに抱くことができる。であるから、思い出を巡っての相続争いなんざ起きませんよ。
 思い出は何人も自由に持つことができるし、数に限りもない。ところが、人てえものは、生きて死ぬるに当たって、往々にして、某かの金品を遺す。そこが混乱の始まりですか。
 孰れにせよ、死というものは、亡くなった当人のものなのではなく、生き残った者たちのものなのか、と思わざるを得ない。それが真実なのかもしれないけれど……。

 嗚呼、汝が死は誰のもの。
 嗚呼、我が生は誰のもの。

投稿者 nasuhiko : 2005年06月16日 19:31

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