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2005年06月04日

iconじじいの助けなど要らぬ


 またまた私がぼんやりしている間に名人戦が行われていたのである。三面の記事を見て、初めてそのことを知るという有り様。これでは応援ができる訳がない。私が普段から何くれとなく注意深い人間であれば、勿論、羽生先生の試合を見逃したりする筈などない。けれども、ご承知の通り、私は非常に雑な人間なのである。その上、非常に記憶が曖昧な人間なのである。名人戦の予定を知ったとすれば、紙に記しておくだろうけれども、直にその紙自体を失してしまい、更には、記録したことさえ忘れてしまうであろうから、そもそも、記録などしていないに等しい、というような具合。そのような老耄の者なのである。威張れた話ではないことは、いくら、頭の捩子がゆるゆるに緩んでいる老い耄れだとて、判っております。判っておるけれども、それでも言いたい。将棋協会よ、NHKよ、こんなぽんこつじじいでさえ、見逃さないように、もっともっと派手に派手に宣伝をしてくれ給えよ、と。将棋界で一番大事なタイトルなのではないのかね。それなのに、人知れず、こっそり行うなんざ、酷い話だ。君らの不宣伝の所為で、私はまた今回も羽生扇子を振り回し、神風を吹かす機会を失ってしまったのである……と、思ったのだが、嗚呼、羽生先生は勝利しておられるのである。結構、結構。素晴らしいことである。でも、ですよ……じゃあ、私の神風はどうなのだ、ということが疑問に思われてきてすまう。つまり、私が羽生扇子を振り回して起こす神風など不要、ということだろうか。はは、左様で御座るか。じじいの助けなどなくとも、羽生善治は負けたりせんのである、と。まあ、そうなんでしょうな。そうでしょう。そうでしょうとも。そうでなければいけない。将棋界を背負って立つ人間が、何処の馬の骨とも判らぬぽんこつじじいの力を借りて勝っているなどということは、決してあってはならぬことである。けれども、けれどもですよ。万々が一、お互いの力が五分と五分、どちらも後に一歩も引かぬ、という状況でもあったらば、その時には、私の扇子の起こす風の力の弱々しい後押しだって無駄にはなりますまい。紙一重の僅差の勝負の折なぞには、ね。

 お助け無用。実に結構。けれども、私は今後も勝手に神風を起こし続ける所存であります。何はともあれ、まずは、祝勝の乾杯といきますか。おめでとうございます。嗚呼、勝利の美酒とは良く言ったもの。今日も澤乃井は美味いや。

投稿者 nasuhiko : 2005年06月04日 17:32

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