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2005年03月26日

icon物騒な御時世なので


 彼此十日ほどになるだろうか、宇宙人の顔をしたちび猫が顔を出さない。やってきたところで、日向でだらだら寝そべっていたり、小鳥を追い回して木に登ったり、人の顔をじろじろ見たりするだけで、特別、愛想が良いわけではなく、辛うじて撫でることはできても抱いたりできるわけでもない。だから、どうってことはない、と思っていたのだが、付き合いが長くなってきて情が移ったのだろうか、暫く顔を見せないと、寂しいような心配なような、妙な心持ちになる。何故、私が余所の家の飼い猫の身を案じなければならぬのか。考えてみると、馬鹿みたいな話だし、そう思うと、少々憎たらしくさえ思えてくる。スパイ猫が末廣の蒲鉾を好むので、それを欠かさぬように気を使って、今では我が家の冷蔵庫の常備品となっている有り様だ。何故、私のような老い耄れが余所様の飼い猫、つまりは、満足な食生活を送っているであろうところの猫の、喰い物の心配をせねばならぬのだろうか。しかも、折角、用意してあっても、敵は気が向いた時にしか来ない。やって来たとしても、満腹なのか、差し出した蒲鉾に見向きもせぬこともあるのである。その時の、拍子抜けした、がっかりした気持ち、どうしてくれよう。独り勝手に盛り上がったり盛り下がったりしているじじいの様は、傍の目には、嘸かし滑稽に映ることでありましょうな。情けない。けれども、この、案ずる心というのは自然に発生するものなのであって、抑えることはできず、やきもきするばかり。まさか今の世に、三味線屋のための猫捕りをしている者もおるまいけれど、車やオートバイが走っている道をうろうろしているのだから、交通事故の心配がある。また、乱暴な小学生が猫めがけて石ころを放る姿を目にしたのは幾度となくある。はたまた、稀にとはいえ、気の触れたものが小動物を虐待して殺したりしている、などという報道があることもある。ちび猫が、どこかで何かの被害に遭っていはしないか、と気にし出せば限りがない。限りがないのだけれども、何となく不安が腹の底できゅうっと塒を巻いているようで、落ち着かない。ちび猫は大丈夫だろうか。心配を紛らそうと、杯を重ねているうちに、不安が増幅されてきて、堪らず、表に出て近所を一周してみたけれど、見当たらない。どうしたらよいのだろう。猫のような気紛れな生き物のことだから、明日になれば、ふらっと現れてくれるに違いない、と思うのだけれど。ああ、ちび猫くんよ、何処に。

投稿者 nasuhiko : 2005年03月26日 19:07

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