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2005年03月19日

icon末廣亭に行ってきた2


 「百川」の、慈姑の金団を丸飲みにして目を白黒させるところを一所懸命演じている。私としては、もうそりゃ頑張っているんだけれども、お客さんを笑わせるどころではなく、酷いもんだね、何だいあれは、というような白い視線が方々から押し寄せてくる。笑わせているのではなく、笑われている次第。しかも、ばかだね、あいつは、ははは、というような、からっとした笑いではなく、あまりの不出来に失笑を買っているてぇやつだ。正直な話、私は自身の落語人生を放棄してもいいから、ご免なさいって謝って、板を下りちまおうかと思ったほど。あわあわあわあわ口から泡が出てくるだけで、もう次の台詞なんざ出てきませんよ。冷や汗がだらだらだらだら零れ落ち、慈姑の金団を丸飲みしたかのように目を白黒させている有り様……ってところで目が覚めた。
 それにしても、私てえ人間もほとほと単純に出来ている。昨日、寄席で楽しく過ごしたら、その晩には自分が噺家になっているんだからね。呆れるね。それにしても、夢の中で思い出しても圓生の「百川」は良かったねえ。慈姑の場面も良かったし、あの、ひゃあ、だか、ひょぇ、だか、百兵衛が素っ頓狂な声音で返事をするところなんざ、ただ単に莫迦が莫迦に見えるてえ丈でなく、戸惑いや素朴な人柄や何や彼やを内包しているような……って、まあ、落語見ながらそんなことを考える必要はないのだが、夢の中とはいえ、自分で演じてみると、圓生の深さが良くわかるてえもの。あんな人はもう出ないのかね。
 扇好だか扇遊だかが言っていたけれど、近頃では弟子入りしてくる年齢がどんどん高くなっているそうな。大卒なんてものではなく、三十代、中には四十代の人もいるという。本当だろうか。もし、本当だとして、そこに七十代の老人を受け入れる余地はあるだろうか。ないですかね。ないね。何しろ、此方人等、電車に乗れば女子供にも席を譲られる身ですからね。それでも、扇橋の門を叩いてみたらどうなるだろう。扇茄子なんてどうですか。入船亭の扇に茄子をくっつけて扇茄子。扇茄子と書いてセンナシと読む。正に、栓無し。どうしようもない野郎だてぇ意味でね。それにしても、扇橋師匠も弟子が同年配じゃやりにくかろう。兄弟子連中にしたって、七十過ぎたじじいを捉まえて呼び捨てにゃしにくいし、荷物だって持たせられない。一緒に電車に乗って、席が一つしか空いてなかったら年寄りを座らせるしかないわけで。まあ、入船亭一門の平和の為に、入門は諦めますか。

投稿者 nasuhiko : 2005年03月19日 22:05

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