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2005年03月16日

iconじいさん先生の言葉


 新しいことはどんどん忘れる。しかも、何とも恐ろしいほどの勢いで忘れるのである。鶏は三歩あゆむ間に何でも忘れてしまう、というようなことをどこかで読んだか聞いたかした覚えがあるけれど、私ぐらい老い耄れてくると、頻々として、鶏と似たような症状を呈するもの。何かを取りに席を立つ。三歩進むうちに、はて、私は何故立ち上がっているのであるか、とぼんやり立ち止まる。少々考えたところで何を思い出せるわけではないので、しょうがないから、元居た場所に戻って腰掛ける。すると、ああ、あれだ、あれ、あれ、あれを取りに行こうと思ったのであった……などと、目的は思い出すのだけれど、その目的物の名称が思い出せずに、あれだ、あれだ、と独り言つ。立ち上がって歩き出すものの、思い出せないのが妙に悔しく気掛かりで、立ち止まって思い出そうとするのだが、少々考えたところで何を思い出せるわけではない。何を馬鹿みたいに突っ立っておるのだ、これだから老い耄れは厭だね、などと呟き、元居た処に戻って腰を下ろす。さて、私は何故立ち上がったのであったろうか。そして、私は何故座ったのだったろうか。何故、何故、何故……。
 こんな態とらしい喜劇のようなことを日常的に繰り返しておるのである。お笑いになられるか。殊に、お若い人なれば、そんな有り様を眺めて、あはははははは、じいさん、しっかりしろよ、と大笑なさるかもしれない。けれども、明日は我が身という言葉もありますぞ。まあ、悔し紛れにこんなことを書いているけれど、もしかすると、年寄り全般ではなく、私だけが格別に記憶の低下が著しいのではないか、と、ちと不安になることもある。尤も、仮にそうだったとしても、今更、気に病んだところでどうにもなるものではないのだが。
 片っ端から新しいことを忘れていく一方で、古いことは思ったほど忘れないのが、脳みそてえものの不思議なところ。しかしながら、古い記憶というやつは、鮮明に覚えているつもりでも、細部は自分の都合の良いように曲げていたりするから質が悪い。そうでもしないと、やっていけないのであります。厭なことはどんどん忘れ、好ましからざるものは手前勝手に捩じくり回して心地よい思い出にしてしまう。そうじゃなきゃやっていられないのですよ。厭なこと、不快なことを鮮明に記憶し、心の中に蓄積していたら、どうなってしまうだろう。考えるだに、恐ろしい。人の心なんざそれほど丈夫じゃないですからね、程好く惚けてきて、忘れたり取り違えたりするお蔭で、何とかやっていけるてえものでしょう。

 ところで、私は、じいさん先生のどんな言葉を思い出したのだったでしょうな。回り道をし過ぎて、書こうと思っていた内容がすっかりまた記憶の闇に舞い戻ってしまった。情けない。いやいや、これで良いのである。

投稿者 nasuhiko : 2005年03月16日 20:10

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