2005年02月01日
ライヴハウスでギグ06
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家内の遺した住所録を引っ繰り返して、どうにか調律師さんの連絡先をみつけた。最後に調律していただいてから、少なくとも、六、七年は経ってしまっているだろう。下手をすれば十年以上になるやもしれない。御健在であることを祈りつつ、電話差し上げると、御当人が出られた。苗字と所番地を伝えると、ああ、フランスの方ですね、即答なされた。家内のことを覚えていてくれたようである。こんなところにも、亡くなったマリの思い出が息づいているかと思うと、誰にともなく感謝したい気持ちになる。私自身も数回はお目にかかっているはずなのだが、申し訳ないことに、声を聞いてもちっとも尊顔が浮かんでこない。「亡くなられたのですか、それは大変残念なことをなさいました。心からお悔やみ申し上げます」と丁寧な御挨拶をいただき、何だか、暫く振りにマリの葬儀の後のあの空っぽな気分が蘇りそうになる。いけない、いけない。塞ぎの虫を追い払い、おんぼろピアノの調律をお願いしたい旨を伝えたが、既に引退なさっているという。それで、後輩に当たる人物を紹介していただいた。これで目処は立ったのだが、何だか、急に滅入ってきてしまった。
夕刻から、ピアノの部屋に籠もって、カミュをゆっくりと飲む。蓋を開けて、当てずっぽうに鍵盤を叩いてみると、ビョロン、ボロン、プオロン、と減り張りのない薄曇りの響き。幼児向けの玩具のピアノのような、その音程の調子っ外れが、妙に胸に沁む。人工のものではない不正確さ、乱雑さが、孤独な夜に屋根を打つ雨音と同じように、私の心の中の哀しい気持ちをかき立てるようである。調律の為されていないピアノには、それはそれで他の何ものとも比較しようのない、独特の力が潜んでいるのだなあ、と変なことに感心する。もっとも、それは私の妄想の鐘を叩くばかりで、一般の人々の心を打つものではないのかもしれないけれど。
投稿者 nasuhiko : 2005年02月01日 17:30
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