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2005年01月31日
海の向こうから
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ある日、海の向こうから手紙が届いた……こんな書き出しは、老台の妄想日記には相応しくないだろうか。そうかもしれない。
この、ブログというインターネットの日記を書くようになってから……というより、これを勧め、御指導いただいたり、手伝ってくれたりしている人々との交流が始まってから……硬化した脳みそと硬化した肉体の持ち主である私の、硬化した日常が少しずつ溶解し始め、新しい世界と繋がりを持ち始めている。実に驚嘆すべき事柄である。元来が人と交わるのが得意な方ではないから、家内が亡くなってからはすっかり引き籠もりがちであり、偶に出向く『日和見』でもカウンターの隅っこで静かに酒を舐めるばかりであった。女将や隣席の客に話しかけられれば返事はするものの、積極的にこちらから何かを話すということもなかったのである。それが、どうだ。今となっては、若い人と面識が出来、昼間から酌み交わしたり、コンピューターのあれこれを教わったり、先日なんぞは、とうとううら若き女性に伴われギグというものにも出向いたのであるから、これは大した変わりようだ。
日記と言っても、永年に亙って帳面に綴り続けているものと、このブログというものでは随分と異なるものである。学生時分からの付き合いとなる紙の日記は、どこまで行っても、徹底して独白であり、筆者は私、読者も私。それ以外に何も存在しない、言ってみれば閉じた宇宙である。勿論、私が亡くなったあとに、荷物を整理するどなたかが、ぱらりぱらりと頁を繰り、読んでみる気になることだって、絶対にないとは言えまいが、まあ、そうなったとしても、それは偶然が重なった予定外の出来事であるし、そもそも、その時点で、私は存在しないのである。つまり、閉じた世界が完全に閉じてしまった後のことである。それに対して、このブログは、誰に宣伝している訳でもないけれど、インターネットに公開している限り、誰もが読む可能性を秘めている、開かれた世界である。そうは言ったって、口伝てで知り合いの知り合いが覗きみる程度に過ぎまい、と高を括っていた。ところが、先日、海の向こうから手紙が届いたのである。それは面識のない御婦人からのものであり、この老いぼれは、それこそ目の玉が飛び出るほど驚愕した。それ以前には、メールは、『日和見』の常連客ではあるまいかと推察される方二人から来たのみだったのだ。あとは外国からよくわからないメールがいくつか来たこともあったけれど、田村師匠に相談したら、それは所謂ジャンク・メールという意味のないものであって、すぐに捨てなければいけないものだと判明した。
ところがですよ、ええ、あなた、ところがですよってんだ。海外の女性からメールが来たのですぞ。ううむ、ありがたい話である。実にありがたい話である。元々このブログてえものだって、日記と同じで自分のためにやっている、ついては、読者があろうがなかろうが関係ない、というような心積もり……というか居直りの精神とでも言うべきか……でやってきているのだけれど、いざ、実在の人間が、しかも、海の向こうで暮らしている女性が、この愚痴蒙昧の乱雑な書き物を読んで下さっていると知ったら、何と申すのが適当なのか、勇気百倍とでも言うべきか。兎にも角にも、こう身内からエネルギーが溢れ出る思いであります。本当です。想像していた以上に、目に見えない読者の存在は我が力となる、非常に非常にありがたいものだとわかったのであります。
近頃、あれこれと盛り上がれるような、嬉しいことばかりが続いていて、全く以てありがたい限りである。澤乃井がいつにも増して美味い。しかし、あれですよ、山あれば谷あり、楽あれば苦あり、躁あれば鬱あり、と申します。あまり調子に乗っていると、次はどよよんと暗黒の闇に陥るのではないか、などと。いけない、いけない、いけません。こういう考え方が始まっていること自体、鬱の入口まで来ている、という証左かもしれませぬ。
投稿者 nasuhiko : 2005年01月31日 16:52
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