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2004年11月25日

icon風邪の余波(あるいは、藝術家宣言)

 どうにかこうにか、日常らしい日常に戻りつつある。これほど難儀するとは、今年の風邪がそれほど強力なのか、それとも、寄る年波に起因するものなのだろうか。考えてみれば、たかが風邪といえども、年々治りが悪くなってきているのは事実である。風邪だけではない。ちょっとした擦り傷程度の代物でさえ、化膿して、いつまでもぐじゅぐじゅしていて、治りそうでいて治らないというような状態が延々と続いたりするのである。これが老いというものなのか、と、そう考える弱気が既にして老いの始まりであろう……と、治りの悪さでうじうじしょぼしょぼしている。そんな話を書こうとしたのではない。

 高熱で魘されながら見たあの色鮮やかで高速の幻覚が、もし、私の脳内の未知の部分から発生したものであるのなら、まだまだ私の中には何か不可思議なものを生み出す力、領域が残っているに違いない。そう強く確信するものである。脳内秘境を探索し、自分でもよくわからない自分と対峙し、そこから何かを引き出そうと思う。そこでは魂消るような美が発見できるのではないか、と。妄想と笑わば笑え。兎にも角にも、私、惚山茄子彦は、残余の、決して長くはないであろう人生を美の捜索(創作)活動に捧げようと思うに至った次第。

 私のような無粋な老いぼれでも、若かりし日々、藝術家への道を歩もうと思ったことがなかったわけではない。貧乏だった学生時代のその貧しさを詩に読み上げ、情けなかった恋愛生活のその情けなさを小説に物し、暗澹たる未来の暗澹を画布に叩きつけ……結局のところ、何もかもにうんざりして、我が才能に見切りをつけたような……腹に溜まらぬ藝術よりも実を取ったというべきか……所詮は負け犬の遠吠えに過ぎぬのだが……孰れにせよ、青年惚山は藝術を断念し、今日の老いぼれに至るのである。藝術に老いも若きもあるはずがない。私は本日から自称藝術家として生き、自称藝術家として死んでゆく所存である。

投稿者 nasuhiko : 2004年11月25日 00:00

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