2004年11月30日
小さな来訪者02
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昨日は昼日中から相当に呑み過ごしたようである。あんな小猫が間者であるわけがない。私の脳の弛みは相当進行しているようである。日記を読み返して赤面している次第。
悲しい気持ちになるできごとがあったせいで、近頃はついつい昼間から飲んでしまう日が続いている。これはまた愚痴か言い訳か……。昼間から酒を飲むのが悪いということはない。悲しいから、という理由で酒を飲むのが良くないのである。しかし、ぼうっとしていると、そこはかとないやり切れなさが何となく頭の天辺にのしかかってくるような気がして、気がつくと、盃を傾けている老いぼれがいる。正直に言えば、今日も既に飲み始めている。
枯れ梅の枝の上で、雀を威嚇するように鳴いていた鵯がの声がぱたりと止んだ。どうしたことかと見回してみると、例の通りの小さな闖入者である。あんなに小さな猫であっても、小鳥たちにとっては脅威となるのだろうか。兎にも角にも、雀が去り、鵯が去り、庭の真ん中でのんびりと毛繕いをする小猫が一匹残るのみ。
スパイだ何だと、妙な妄想に駆られた昨日だが、寛ぐその姿はなかなかに可愛らしいものである。小さな躰だが動作はすっかり一人前で、丁寧に丁寧に我が身を舐めこみ舐めこみ、お洒落に余念がない様子。身繕いが一段落したのか、柿ノ木にのぼると、手頃な枝の分かれ目にすっかり身を横たえて欠伸をする。欠伸をする。もう一度欠伸をする。どうやら眠ってしまうようである。なかなかに愛いやつよのう、とそのうつらうつらした姿を眺めながら、もう一杯。時々、薄目を開けてこちらを伺っているようだが、鳴くでもなく、動くでもなく、特に警戒しているようでもなく。
たとえ、相手が眠りこけた小猫であろうとも、独りで飲むよりは幾許かはましではないか。
葉も落ちて 猫寝呆けおる 柿日暮れ
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2004年11月29日
笹の根を追う
すくすくと伸びる笹の
その足元は如何なる有り様かと
気になり出した
掘ってみました
掘ってみました
すくすくと伸びている
その頑丈な笹の根は思いもかけぬ彼方まで
すくすくと伸びている
毎日少しずつ掘っている
昨日も少し 今日も少し
そしておそらく明日も少し
笹の根はすくすくと伸びていて
まだまだ続く
そしておそらく明日も少し
ところが、ここに壁があるのである
笹の根は隣家の庭へと続いている
笹叢に風が吹く
さあさあ さあさあ
さあさあ さあさあ
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2004年11月28日
小さな来訪者01
ここ数日、小さな猫が庭を訪れる。何をするでもなくぶらついているかと思うと、突然、梅の木を駆け上がってみたり、地べたにぺたりと伏せてみたり、何を考え、何をしているのやら。首輪をしているし、大方、近所で飼われているのだろう、とは思う。
こちらをじっと見ているので、何か言いたいことでもあるのだろうか、と思い、「おい、猫くん」などと声をかけてみても、にゃあと返事をするわけでもなく、きょとんとした瞳のまま、ただただ眺めるばかり。鳴くわけでもなく、何かを要求するのでもなく、私を観察しているのだろうか。もしかすると、これはスパイ猫なのではないか、という気がしてきた。生き物にしては無表情に過ぎるのではないか。猫型ロボットのの目に高性能のカメラか何かが仕掛けてあって、近隣の何者かが、耄碌じじいの動向を窺っているのではないか。そう思い始めると、先程までは円らで曇りのない瞳に思えていたものが、狡猾なカメラのレンズのように見えてきて、見透かされるような不安を感じる。首輪にマイクか何かが仕掛けてありはしまいか。どこか怪しいところはないかと、こちらも目を凝らしてじっと観察するが、如何んせん、視力に難ありで、細部は判然としない。こちらがじろじろじろじろ睨め回すような視線を這わせたところ、ついと立ち上がって、垣根の下の隙間から去っていってしまった。いよいよもって怪しい。
一体、誰が私を監視しようとしているのだろうか、とあれこれ思い巡らせるが、誰一人としてそのようなことを望む者が思い浮かばない。ううむ、不可思議。
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2004年11月27日
お絵描き(些かがっかり)
若い頃には少しは絵筆を握ってみたこともある。水彩、油彩、スケッチに墨絵、あれこれとちょっかいを出してみて、自分では三流ながらもそれなりの絵心があるつもりであったのだけれど、些か自信喪失せざるを得ず。コンピュータに絵を描くのは実に難しい。師匠が用意してくれたペンタブレットというものを玩んで、かれこれ三時間ほどにもなろうか。始めは楽しかったけれど、描けども描けども、ちっとも上達しない自分自身に次第に腹が立ってきた。この未熟者めが。
三時間で得られた成果はへなちょこな茄子の絵だけである。こんな児戯に等しい代物が何になろう、とうっちゃっておいたけれど、夕刻、師匠が再度訪れて、日記の背景に仕立て上げてくれた。こんな拙いものでも今までの無地の背景よりはましに思えるから不思議である。
下手くそな絵しか描けぬ言い訳というか愚痴というのか、そんなものをぶちまけていると「最初からうまくはいかないものですよ。けれど、慣れれば、これはこれでなかなか便利なものです。紙と絵の具で描く絵とは別のものだと思ってください。別の道具なんです。一長一短、これにはこれの良さがありますから」そう言って、手品のように線のタッチを変えたり、色を変えたり、同じものをたくさん複製して整列させたり、変形させたり。ほほう、なるほど、なかなかこれはこれで面白いものかもしれない。筆とカンバスを模したつもりで振る舞っていたけれど、そういうものではないのであろう。形状はペンを模していても、機能は全く別のものである。新しい道具として扱えば何か面白いことができそうな気さえしてきた。師匠の手管にすっかり嵌められてしまったようである。もう少し、このペンタブレットと付き合ってみようかと思う……けれども、今日のところはもううんざり。
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2004年11月26日
鞄の中味、頭の中味
このコンピュータで、私のような耄碌爺に日記を書く他に何ができましょうか。田村師匠が来訪した折、そんなことを尋ねる。
「欲が出てきましたか。そりゃ結構なことです。今どきのコンピュータは家庭用のものでも随分といろいろなことができるものですよ。実際、私は音楽も映像も作っていますし」
私は、ですな、インターネットの日記にですね、写真を物したいのでありますよ。文字だけってのも、何だか物足りない。というのも、まあ、そりゃ、私の文章が稚拙だから文字だけでは楽しめるようなものを書けないだけなんでしょうけれどね。
「写真ですか、そりゃよござんすね。近頃はなかなか気の利いたデジタル・カメラがありますから、何か一つ見繕っておきましょう。デジカメてぇものは銀塩のカメラなんぞより気楽なものです。すぐにお使いになれましょう」いつものように、清かに響く師匠の声音。ついでに、コンピュータに絵を描く道具も揃えていただけると幸いである旨、申し添える。
「お安いご用ですとも。二、三日いただけますか」
姿形もなかなかにうるわしいこの青年、普段は何をやっているものやらよくわからないけれど、青魚をつまみながら杯を傾ける姿など、何やら、時代劇に登場する、涼し気な若侍を彷彿とさせるところがなくもない。もっとも、足元の鞄にはコンピュータや携帯電話、音楽をどうにかする小さな機械などなどと、時代劇というよりは近未来、まさにデジタル社会の申し子である彼である。
「鞄の中味は電化一辺倒ですか」と尋ねると「いやいやそんなことはありませんよ」と中からあれこれ取り出して見せる。なるほど、手帖が数冊、本が数冊、二本差しのペンケースには銀色の萬年筆と鉛筆。「アイディアは手書きでメモするのです」と手帖の一つを見せてくれる。表紙には『プレス工場』と丁寧な装飾性の強いレタリングで記されている。ぱらぱらと繰ってみる。小鳥の絵が描かれていて、その横に「コゲラが木をつつく」いう文字が書かれている。「目蒲線の線路のリズム」「雨の日に君の家の前の歩道橋の上でレコーディングします」「活字乱舞」などなど、判然としないメモが並ぶ。絵のような記号のようなものもたくさん描かれている。それらは一体何を意味するのだろう。狐に撮まれたような、顔をしていたのだろうか。「鞄の中味は見られても頭の中味は見られませんものね」ふふふと微笑む。
田村師匠という人が何を考える何者なのか、ますますわからなくなりました。
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2004年11月25日
風邪の余波(あるいは、藝術家宣言)
どうにかこうにか、日常らしい日常に戻りつつある。これほど難儀するとは、今年の風邪がそれほど強力なのか、それとも、寄る年波に起因するものなのだろうか。考えてみれば、たかが風邪といえども、年々治りが悪くなってきているのは事実である。風邪だけではない。ちょっとした擦り傷程度の代物でさえ、化膿して、いつまでもぐじゅぐじゅしていて、治りそうでいて治らないというような状態が延々と続いたりするのである。これが老いというものなのか、と、そう考える弱気が既にして老いの始まりであろう……と、治りの悪さでうじうじしょぼしょぼしている。そんな話を書こうとしたのではない。
高熱で魘されながら見たあの色鮮やかで高速の幻覚が、もし、私の脳内の未知の部分から発生したものであるのなら、まだまだ私の中には何か不可思議なものを生み出す力、領域が残っているに違いない。そう強く確信するものである。脳内秘境を探索し、自分でもよくわからない自分と対峙し、そこから何かを引き出そうと思う。そこでは魂消るような美が発見できるのではないか、と。妄想と笑わば笑え。兎にも角にも、私、惚山茄子彦は、残余の、決して長くはないであろう人生を美の捜索(創作)活動に捧げようと思うに至った次第。
私のような無粋な老いぼれでも、若かりし日々、藝術家への道を歩もうと思ったことがなかったわけではない。貧乏だった学生時代のその貧しさを詩に読み上げ、情けなかった恋愛生活のその情けなさを小説に物し、暗澹たる未来の暗澹を画布に叩きつけ……結局のところ、何もかもにうんざりして、我が才能に見切りをつけたような……腹に溜まらぬ藝術よりも実を取ったというべきか……所詮は負け犬の遠吠えに過ぎぬのだが……孰れにせよ、青年惚山は藝術を断念し、今日の老いぼれに至るのである。藝術に老いも若きもあるはずがない。私は本日から自称藝術家として生き、自称藝術家として死んでゆく所存である。
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2004年11月24日
みなさまは覚えておられますか
老いては子に従え、というのは竜樹の言葉だったろうか。これは、なかなかに見事な、ある意味での真実である。老人の智慧や感覚だって大きに役立つこともあろうけれど、飽くまでも、脇役であるべきであろう。世界を、老人を中心に回すようになってはいけない。青壮年世代が、よちよち歩きの次世代、あるいは、未だ生まれてもいない次の次の世代のために齷齪するのが正しい。
日本の政治家は老いぼれた狸爺ばかり、こいつらを一掃して、若い者たちに任せなければ、この国に未来はない、と思っていたものである、ついこの間までは。
実際、古狸どもが姿を消し、小泉純一郎が親玉になったときには、今までよりは少しはましになるだろう、という期待をほんの少しは持ったものである。けれども、今日の有り様を見る限り、この船頭は酷い。あまりに酷い。彼奴の行動は私のようなじじいの目には途轍もなく奇異に映り、どうにもこうにも理解不能である。何故、ブッシュの手下となるのか。何故、国民の意見に耳を傾けようとはせずにブッシュの小手先として嬉々としてイラクに派兵するのか。しかも、マスコミの手緩いこと手緩いこと手緩いこと。最早彼らは批評性の断片すら持ち合わせていないようである。標準語も満足に話せぬくせしてタレント気取りでちゃらちゃらしているアナウンサーどもがその代表か。胸糞悪い。
平和ぼけという言葉が適切なのか。兎にも角にも、この世の中から戦争の恐怖、悪夢という類の記憶を持った人間がどんどんどんどん減少していっている。日本というのは、戦争という項目に関しては、善きにつけ悪しきにつけおっかなびっくりでしかモノの言えない国家だったのだ。それが、どうだ。近頃じゃ、軍事関連の法案なんぞも有耶無耶の裡にゴーである。
ここは一つ、老いては子に従え、などと引っ込まずに、私らのような戦争を味わった古狸世代が、そんなことで良いのか、ばか息子、ばか娘どもよ、と声を大にして訴えなくてはいけない。そんな気のする今日この頃。
みなさまは覚えておられますか、この間の戦争を。頭の上を焼夷弾がびゅびゅーっと飛んで、この辺りだって、すっかり焼け野原になっちまった戦争を。
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2004年11月23日
風邪4
風邪も治りかけくるてぇと、無抵抗にやられてばかりだった状態から、あれが喰いたいだの、誰か見舞いに来ないものかだのと、勝手なことを思い始めますな。そのくせ、いざ、立ち上がって何かしようとしてみると、一歩ごとに、あっちにふらふら、こっちでくらくら、という有り様で、厠まで辿り着こうとするだけで難儀する。用を足して床に戻った頃には、ふうふうぜいぜい。多少なりとも快方に向かってはいるものの、躰は言うことを聞いてくれない。
寝込んでいると音楽だけが楽しみである。枕元に転がっているCDを取っ換え引っ換え聴くともなく聞いている。病床にあって、ジャンゴ・ラインハルトの『セプテンバー・ソング』を耳にすると、マリのことをどうしても思い出してしまう。人の命の長短にあれこれ文句をつけてもどうにもなるものではないけれど、それにしても、彼女の人生は少々短すぎた。美人薄命とはよく言ったものである。
彼女が何くれとなく世話をしてくれる。そろそろお休みなさいな、一番のお薬は眠ることよ、などと……額に手を当て、あら、もう熱も下がったみたいね、などと……林檎をおろしましたから少しお上がりなさい、などと……。
マリの手は何しろ白くて白くてつるつるしておったものです。もっとも、彼女以外の女性の手をしみじみ触ったり間近に眺めたことは殆どないわけで、比較のしようもない。記憶の川をどんどん遡れば、七十年ほども昔の母の手が思い浮かぶけれど、やはり、それも比較のしようがない、というより、比較の意味がない。母の手、それはやはり典型的な亜細亜人種の手ですから、ちっとも白くはありませんでしたな。肌色というよりは、寧ろ、茶色い、というような。
私がどうにか治ってくると、今度は、彼女の方が倒れてしまう。私は、当時は料理など全くできませんでしたから、仕方がないので、店屋物のうどんで済ませたりすることになり、考えてみれば、マリには申し訳ないことをしました。パンとチーズとかカフェ・オ・レとか、具合が悪いときには本当はそんなバタくさいものを欲していたのではないか、と、今になって思います。まあ、今更云々しても仕方がないことではあるけれど。
順番に風邪を引くぐらいなら、二人一緒にかかって一緒に寝込む方がいいね、と私が言うと、そしたら、看病する人がいなくなっちゃいますわよ、と答えるマリ。なるほど、確かにそうである。我が夫婦が順番に風邪を引くのは、効率が悪いようでありながら、実は合理的だったのかもしれない。
こんなどうでもいいことをあれこれ思う、病み上がり切れぬ老人の妄想床、幽かに涙に濡れる。
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2004年11月22日
風邪3
合成ペニシリン製剤や解熱鎮痛消炎剤といった薬がどういうものか、実のところ、ピンとはこない。尤も、医学の知識などあるわけではないのでわからないのは当然だ。それに、そもそも、風邪の根本原因は解明されていないのであるからして、その対処法にしたところで、経験に基づくものでしかあるまい。わけのわからないものをありがたがって服用させていただいているわけである。考えてみれば、原始信仰的な方法論である。シャーマンに祈ってもらうのと、本質としては何ら変わらない……と、ここまで言っては言い過ぎだろうか。ごめんよ、若先生。
孰れにせよ、私の躰の中で一体何が起こっているのか、わからないまま、風邪が始まり、終わろうとしているようである。
今まで味わったことのない高熱が治まってくると、眩い幻想も鳴りを潜めてしまった。残念なような気がしなくもない。だが、七十年間に味わったことのない不思議な経験ではあるにせよ、是非、引き続き味わいたいと思うほどの、中毒的な魅力を持っているものでもない。
幻想そのものが引っ込んでしまうのはかまわない。気になるのは、あの幻想はどこからやってきたものなのだろうか、ということである。どこからと言ったって、ちょいと失礼しますよ、と他所から入ってくる筈もないわけで、畢竟、あれも私の中のどこからか現出したものなのであろう。そう思うと、あのような極彩色で超高速な……何という見苦しい形容だろう……空間を想像する力が私の中にあるのだ、ということになる。まだまだ、私の脳の中には未知の部分、七十年以上使ってきても未使用の謎の領域が残っているのだな。
私の中に未知の領域があり、そこには私の知らない何かがまだまだ隠されていると考えると、何となくにやにやが止まらない。乏しい可能性を消費し尽くして、立ち枯れるのを待っている老体なのではなく、まだまだ清らな可能性を秘めた、そんなじじいなのであるぞ、私は、とね。
何を言っておるのだ、この耄碌じじいが……そんな声が聞こえて参ります。
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2004年11月21日
風邪2
今回の風邪の猛威はまことに甚だしかった。平常は三十六度に満たない体温の私だが、若先生によれば三十九度を超える熱が出ているそうで、強い薬を出しますけれど、まだ数日は相当厳しいでしょうね。もし、あまりに苦しかったら、点滴を処置しましょう。その時には、こちらから伺いますよ、と暖かい言葉をいただいた。
その高熱のおかげで、ここ数日、私は多くの幻想を眺める幸運(?)に恵まれている。尤も、熱に浮かされて観る幻想は、幸福な楽園を描くようなものではなかったけれど、常を逸脱した強烈な色彩と有り得べからざる空間感覚を齎した。未だ嘗て味わったことのない世界である。眠っている間に見る夢とどう違うのかと問われたとしてもきちんと説明できはしないのだが、敢えて言うのなら、夢は見るものであり、この度の幻想は見せられたもののように感じられた、ということだろうか。
紫や緑、だいだい色の原色の塊のようなものがびゅんびゅん飛び交うのである。それは、さながら12色入りクレヨンのジャングルとでも言うべきか。兎にも角にも、くっきりとした色の塊が、スライムのように変形しながらびゅうんびゅううんと頭上を飛び交い、時には、我が肉体を突き抜けるのである。勿論、その際に、痛みも痒みも快感も、何も感じるものではない。ただただ、とてつもない勢いで色の塊が私に向かって飛んできて、突き抜けて、飛び去るのを見るばかり。いや、見るのではない。感じるのである。いや、感じるのではない。ううむ、何だろう。何と説明すれば良いのか。
音はない。自分の中に本来あるべきはずの鼓動や呼吸の音もない。味もない。匂いもない。何の気配もない。一体、私はどこへやってきてしまったのだろう。
気がつくと、溢れかえる光の洪水の最中、呆然と立ち尽くす私であった。
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2004年11月20日
風邪
風邪を引いた。激しい悪寒と立ち暗みから判断して重篤な状態であると感じ、直ちに主治医(近所の町医者であるけれど)にお世話になる。待合室で待っていること自体が非常に困難である。懸命に書物に集中しているつもりでも、老体は少しずつ傾げていき、気がつくと、壁にべたりと凭れかかって喘いでいるというような有り様。些かでも心紛れるようにと、大名人の『普賢』を手にしてそれこそ必死の思いで読んでいるのであるのに、内容など何も頭に入らない。しかし、何もしないでいると、ますます息は苦しく、ますます関節は痛く、ますますくらくらくらくらするのでしょうがなく、頁に向かう……壁にへばりついている自分に気づき、体勢を立て直し、本に向かう……という繰り返し。
若先生(長年親しんだ先生は亡くなられて、今、お付き合いしているのは御子息である。もっとも、御子息も、もはや“若”先生と呼ぶにはあまりに薹が立っている)の見立てによれば、どうということのない、風邪だそうである。ただ、今年の風邪は症状が厳しいので強い薬を出しておきます。強い薬ですから用法を間違わずに服用して下さい、とのことであった。
帰路、コンビニエンス・ストアに立ち寄り、高菜のおむすびと豆腐と長ねぎを購入する。コンビニエンス・ストアで一人分の食品を購入するという作業が、毎度のことながら、非常に淋しい気持ちにさせる。日常、独り身の侘しさを意識することなど、そうそうありはしないのだが、がちがちがちがちちーぃんとレジが打たれ、×××円です、と告げられるまでの、ぼーっとレジの前で待たされているわずかな時間は何とも孤独な気持ちになる。そうさ、私には食を伴にする何者もおらんのだ。そうさ、私には食を伴にする何者もおらんのだ。貴女のお見通しの通りでござい。
マリが亡くなって、もう五年になります。
おむすびを食べ、合成ペニシリン製剤、解熱鎮痛消炎剤、ビタミン顆粒、健胃錠を、指示された通りに服用して、横になる。すぐに睡魔が襲う。目が覚めると既に七時、豆腐を食し、薬を飲んで横になる。強い薬をいただいたはずなのだが、今度は、すぐには眠れない。腰も痛い。頻々と向きを変えてみるが、腰の痛みを緩和できる位置がみつからない。
たかが風邪である。たかが風邪ではあるけれど、病身で独り床についていると、細雨が土に染み入るように、そこはかとない淋しさが私の心の隅々に入り込んでくる。拭い去り難い。
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2004年11月19日
日記に関しての覚書
日記を公開していくにあたって、師匠から注意された事項を以下に記す。
一、登場人物がどこの誰だか特定できないようにすべし。
二、お店などについて記述する場合も、特定できないようにすべし。
三、おかしなメールが来たら、直ちに師匠に報告・相談すべし。
四、特定の人物・組織などを誹謗中傷すべからず。
五、世界規模で書物を刊行している、というぐらいの心持ちで慎重に筆を進めるべし。
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2004年11月18日
たびだちへのたびだち
七転び八起きなんてことを言うけれど、まあ、転んだって転んだって起ち上がれば良いってことでしょうか。実際、コンピュータ自体はいとも容易く立ち直りました。しかしながら、私の方は、そう単純でもない。それが人間ってものでしょう。師匠のあの含み笑いの如きものが眼前から消えない。当分は消えそうにない。一杯二杯ひっかけて良い調子になっていても、ふと思い出したりすると、もういけない。酔いのせいでなく、羞恥心から顔が火照って赤くなるのがわかる。私は何故斯様に見栄っ張りのじじいなのであるか。嫌になります。
そうは言いながらも、師匠の教え方がうまいのか、生徒が優秀なのか、生徒が優秀なのか、生徒が優秀なのか、少しずつ進歩しているのも事実である。インターネットを閲覧することとメールを読み書きすることをマスターするのにそう時間はかからなかった(と思う)。文字を打つ速度もちょっとずつはましになってきている。著しく肩が凝り、目がしょぼしょぼするという点を除けば、コンピュータもなかなかに楽しいものである。そんな気さえする今日この頃。
近頃は、前の晩に日記帖に書きつけたものをコンピュータで打つという練習をしている。いずれ、遠からぬ日にインターネットに日記を公開する日がやって来るであろう。そして、旧友たちや見知らぬ人々がそれを読むのだろう。それが本当に嬉しいこと、楽しいこと、喜ばしいことなのか否かという疑問を心中から拭い去りえないものの、今日も着々と日記をコンピュータに写す私である。
コンピュータでは活字の文字になるのが悪筆の私にとっては良いところではある。けれども、このように何でも彼でも活字になってしまうと、判読し難い私の文字でさえ、下手は下手なりに味わい深いものなのだなと気づかされもする。
ふと思ったのだが、七回しか転ばないのに八回起ち上がることができるものだろうか。どうでもいいことだが、どうも腑に落ちない。
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2004年11月17日
ふなでのじごしょり2
うじうじいじいじと情けなさばかりを抱え込んだ日々の四日目、師匠様御来訪。あれこれと話を逸らすが、結局、白状せざるを得ず。何だかんだ言ったところで、『日和見』に通えないのは、かなりの心痛の種であったのである。良いではないか、私がすけべなじじいだと発覚したとて。良いではないか、私が、愚かですけべで、そのくせ、見栄っ張りで、なかなか泣き言を言い出せずにうじうじ悶々としているばかりのじじいだと発覚したとて。
びくともしないコンピュータの画面を眺めて、田村師匠がにやり。拙者、万々承知之助、みなまで申すな、御同輩。そんな口元。穴があったら入りたい。正にそのような心境である。
師匠がどの程度の達人なのか、あるいは、達人ではないのか、わからぬけれど、ものの五分ほどで我がコンピュータはHALの如き狂気の淵から常軌の世界に何事もなかったかのように舞い戻ったのであった。
インターネットを始めれば、誰もが通る道ですから、とにこりと微笑み、何事もなかったように振る舞う姿。忝ない。師匠、恩に着ますぞ。
その夜、私はまたインターネットの海を少しく航海してみたけれど、お下劣なものに出会すと、すぐさま舵を切り、波穏やかな方へ方へと進んでいった。こんな安全運転の旅路を選んで男としてそれで良いのか、と思わなくもないけれど、今はまだ未熟者である。いずれ、一人前の船乗りとなった暁にはまた危険な海域を踏み分けてみることにしよう。それまでは、さらばじゃ、お下劣なホームページどもよ。
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2004年11月16日
ふなでのじごしょり
情けない。しかし、自力ではどうすることもできない。どうにもできない以上、インターネットの日記という計画をここで諦めてしまおうかと思う。そうするとなると、もう『日和見』に顔は出せなくなるのだなあ。それぐらいどうってことはない。そう思いながら、三日ほど過ごした。他にも呑み屋なんぞ、いくらでもあるわけで、こんな機会にと、二、三の見知らぬ暖簾をくぐってみたが、何となく居心地が宜しくない。店の人たちはそれなりの礼節をもって歓待してくれているのだが、何かが違う。余所者の気分なのである。事実、余所者なのだな、一見の客なぞは。
考えてみれば、どの店だって、はじめは一見からつきあいが始まるもの。駅からの道すがらふらりとはじめて『日和見』に足を踏み入れたときには、やはり、私は一見の余所者の気分でいたのだったろう。その気分を忘れてしまっただけだ。
こんなじじいになってしまうと、新しい店に入って、じわじわと馴染みになっていくという作業はなかなかに苦痛なのである。おかしいか。笑え。いくら笑われようとも、こんなことが苦痛である事実に変わりはないのだし。
家には私以外に誰もいない。もう五年になる。そんなことは大したことではない。ビデオで映画を観て、本を読んで、今晩は清酒を少しだけ呑む。『タイム・アウト』を引っ張り出してくる。「Take Five」、これはブルースだったのだなあ。女々しい気分にはぴったりである。あまりにぴったりにすぎる。夜は長い。
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2004年11月15日
ふなで
まず、学習したのはホームページをあれこれと見て回ることであった。そこにあるのは、私の想像だにしなかった光景である。善悪新旧入り乱れ、言葉も写真も映像も音楽も入り乱れ、私もあなたも入り乱れ。宇宙の創世時の混乱は斯くあらんか、というようなカオス。少なくとも、私の目にはそのように映じたのでありました。
手取り足取り……本当に足を取られるわけではないですけどね……師匠に操られ、この文章をご覧なさい、こうすれば音楽が聴けますよ、などなどと、インターネットを探検した。楽しかった。楽しかったよ。
夜、一人きりになって、またインターネットをやってみた。あれこれとクリックして回るうちに、とんでもない、お下劣なところに辿り着いてしまった。目を覆いたくなるような、と、そんな形容が相応しいのだろうけれど、実のところ、私は目を覆うどころか、目を皿のようにして文章を読み、写真を眺めたのであります。お恥ずかしい限り。七十を過ぎてなお斯様なものに惑わされるじじいであります。誠にお恥ずかしい限りであります。
そんなさもしい根性が発露したからだろうか、突然、我がコンピュータは発狂してしまった。機械が発狂というのもおかしな話だが、ウィンドウが次々に開き、私が急いでクリックして、閉じようとしても、開いていくものの方がはるかに多いのである。画面を覆い尽くす、お下劣画像を満載したウィンドウ群。自らの邪悪な魂を眼前に突き付けられた思いであった。呆然としているうちに、コンピュータはうんともすんとも言わなくなり、私はもはや何を為すこともできなかった。
のちに、このような状態をフリーズと呼ぶことを知った。言い得て妙。正しく、その夜は心の凍りついた夜であった。
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2004年11月14日
かけだし
用意してもらったコンピュータの使い方を教わる。想像していたほどには煩雑ではない。そんな感想を漏らしたところ、田村くん曰く「一見、なんてこてとないように見えるのがマックの良いところなんです。目に見えないところで機械が頑張ってくれているからこそ、人間が楽をできるわけですね。これこそが本来のコンピュータの役目ですから」
しかし、彼の説明に即座に首肯できるほど、私は楽をできているとは思えない。兎にも角にも、師匠の言葉をきちんきちんとノートに書き留めてゆく。
一、スイッチを押す。パーンという音がするので、そのまま暫く待つ。
二、画面に猫が出てきたら、操作を始めても良い。
三、画面の下の切手のマークを押すとメールのソフトが出てくる。
四、画面の下の羅針盤のマークを押すとインターネットのソフトが出てくる。
これがノートの書き出しである。今ではこれぐらいのことに困ることはない。コンピュータとかインターネットという言葉には、何とはなしに高圧的な響きがあり、駆け出し時代の私は、ひとつひとつの操作に随分びくびくしたものであった。機械嫌いの、相当に時代遅れのじじいなのだから、仕方がないことではある。
お若いので田村くんと気軽に声をかけてきていたが、今後は田村師匠と呼ばせていただこう。この歳になって、また新しい師匠を持てるとは幸甚の至り。これも、私の日頃の行いが良いおかげだろうか。ばかも休み休み言い給え。
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2004年11月13日
さてさて
コンピュータのことなぞ何もわからぬ。インターネットのことも何もわからぬ。けれども、同窓会での白島のばか笑いのおかげで、私の、じじいならではの負けん気とも言えるようなものに、しょぼくれた灯がともったようである。
「この間のね、あれだね、インターネットの日記というものをやってみようかな、という気になってきましたよ」と報告すると「それはよござんしたね」と、お酌する手も軽やかに相槌を打つおかみ。「ほら、ぼけの防止にもなりますから」
こういうことを言って、人のやる気に水を差す。これだから、女てえものは嫌なんですよ。「ぼくはぼけなんか気にしていませんよ。寧ろ、早くやってきてもらいたいと思っているぐらいです」「あらあら、そんな、へそをお曲げにならずに、もう一杯」
「まずはコンピュータを買ったりせねばなりませんね。それから、何だかんだと設定も必要です。日記を書くには日記帳もいりますよ」田村くんである。「何しろ、ぼくは何もわからんのです。どうしたらよいのだろう」「そのあたりのことはぼくに任せてください。手慣れたものですから」「では、申し訳ないけれど、君も人を焚き付けた一人なんだから、よろしくお願いします」
そんな具合で、雑事を田村くんにあずけてしまったら、すっかり気が楽になる。秋の夜、日本酒が清らかに五臓に染み渡り。
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2004年11月12日
どうそうのともがら
齢七十を過ぎて、同窓の輩も一人減り二人減り。我が国の人口過剰問題を少しずつ緩和するに努めている。あとは静かな余生を送ることができればいい。家内を失ってからは、そう思って生きている(つもり)。しかし、実のところ、同輩の連中には、未だにあれこれと盛んなものも少なくない。
古市が四十も歳の離れた女性と再婚したのには、心底吃驚したものだ。あれは一昨年のこと。長年の夢だったとかで、夫婦揃ってハーレー・ダビッドソンという大きな大きなオートバイを購入した木澤くんにも少なからず驚かされた。私が、もうあとはね、静かな余生をね、などと口にすると、よせやい、と誰も取り合ってくれやしない。これが七十を数年越したじじいどもの同窓会の席上での話なのである。
インターネットに日記を書くことにしたんだということを話そうかとも思ったけれど、やいのやいのと茶々を入れられたり、よくも俺のことを悪く書きやがったな、あるいは、なぜ俺のことを書かんのだ、などと反応されても困るだろう。連中には秘密にしておこう。
時に、君らはコンピュータなんぞはやるのかね、と尋ねたところ。おいおい、今どき、コンピュータの一つや二つやらないやつがいるものかね、と失笑を買う始末。茄子彦もコンピュータを始めるのか。そうか。わからんことがあったら、何でも尋ねてくれ。がはがはがは。白島タケルのばか笑いの図。白島のやつ、善くも悪くも、相も変わらずである。
インターネット日記に向けて、些か前向きになってきた気がするのはなぜだろう。白島タケルのばか笑いのおかげかもしれないね。
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2004年11月11日
はじまりはじまり
「おやんなさいな。ぼけの防止にもなるわよ」と宣うおかみ。
ぼけの防止などという言葉に釣られ、そうか、それは悪くないなあ、と思ってしまった我が身が何とも情けない。
この齢になれば、老化を意識しないわけにはいかない。正直な話、あちらこちらががたぴしがたぴしぎくしゃくしゃくしゃくしているのである。しかしながら、昨日までは、ぼけも人生の勲章のうち、と胸を張っていた我輩ではなかっただろうか。人としてこの世に生を受けたなら、その締め括りとして老いもどっぷりと味わいたいものよ、と嘯いてた私ではなかっただろうか。
「そんなものを書いたってね、誰が読むと言うんです」そう問い返したところ、「茄子彦先生、誰か読まなきゃ日記はお書きになりませんか。そもそも日記というものは読み手を求めるものでありましょうか」と、田村くんに切り返された。お若いけれど、いつもしっかりとした口調、論旨で物申す人である。
「読み手を求めないのであれば、インターネットというところに日記なんぞ書いたってしょうがなくはありますまいか」さらに問う私に向かって、「何事も経験ですよ」うふふとおかみが笑う。この齢になって、今更、年増のうふふにぐらりときたりはしないけれど、盃を重ねるうちに、結局のところ、インターネットに日記のようなものを書く約束をしてしまっていた。秋は深まれり。
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